人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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出雲大社のこと

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2016/09/05 10:41

千家国造館

テレビ番組の紹介などが入ったため遅くなったが、今夏は山陰に行ってきた。一昨年伊勢神宮を訪れたので、今年は出雲大社に、というのが理由である。

出雲大社の注連縄
日本最大として知られている、出雲大社の大注連縄

出雲大社の歴史は古い。古代には、たたら製鉄をバックとして力を持ち、大和を中心とした大和王権とは独立した出雲王国があったとみられる。この出雲王国の中心が出雲大社で、同神社の神官は代々出雲国造という一族がつとめてきた。

南北朝時代の康永2年(1343)、国造家は北島家と千家家に分裂、以後北島家と千家家は交代で出雲大社の神官をつとめた。明治維新後は千家家が宮司をつとめているが、北島家・千家家ともに男爵を授けられている。

現在は出雲大社の両脇に、北島国造館と千家国造館が並んで建っている。このうち、千家国造館は非公開だが、北島国造館は公開されており、出雲大社の境内からも直接入れる。しかし、知名度が今一つ低いせいか、夏休みでにぎわう出雲大社とは違って、北島国造館には誰もいなかった。

kitazima
北島国造館

なお、伊勢神宮の沖から昇った太陽は、出雲大社の奥にある日御崎神社の沖で沈む。できれば日御崎神社で沈む太陽を見てみたかったのだが、時間の関係で果たせなかった。機会があればチャレンジしたい。

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