人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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矢向から谷古宇へ

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2016/04/25 13:58

谷古宇のバス停

実は、関東に「やこう」という地名は他にもある。

鎌倉時代の基本資料である『吾妻鑑』をみると、建長8年(1256)六月の条に、鎌倉街道中道に出没する夜討・強盗を取締るために警固を命じた沿道の地頭二四人の一人に矢古宇右衛門次郎という名がみえる。この矢古宇氏は、先週紹介した横山党の八国府氏とは別流。武蔵国足立郡矢古宇郷をルーツとする武士で、同地の地頭もつとめていたらしい。

矢古宇という地名は、のちに谷古宇と変わり、比較的最近まで存在していた。鎌倉時代の矢古宇郷は草加市・川口市にまたがる範囲だったが、江戸時代の谷古宇村は草加宿の一部で、今の草加市松江町付近。現地にはバス停「谷古宇橋」や、「谷古宇町会」と書かれた掲示板もあるように、今でも地域名称として使われているようだ。

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谷古宇町会の掲示板

また、草加市から三郷市にかけて「谷古宇」という名字がある一方、「矢古宇」という名字は栃木県の宇都宮市に集中している。おそらく、「矢古宇」時代に生まれた矢古宇氏はのちに栃木県に移り、その後地名が谷古宇となってから新たに「谷古宇」氏が生まれ、そのままこの付近に土着しているのだろう。

いずれにせよ、漢字はあて字と考えた方がいい。

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