日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2016/04/18 10:28
先週紹介した尻手は、かつて隣の矢向村の一部だった。実はこの矢向と尻手には共通する面白い地名の由来が伝わっている。
神話時代、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征した際に、この付近で敵と戦って矢合わせ(合戦の合図に鏑矢をとばすこと)をしたという。この落ちた矢の先端の方角が矢向で、後ろ(尻)側が尻手だというのだ。多摩川を挟んだ対岸は大田区の「矢口」で、ここが矢を射た場所だともいうが、矢が飛ぶにしてはやや離れ過ぎている。
平安時代後期、関東地方には武蔵七党という武士団がいた。そのうちの一つ横山党は、今の八王子市を本拠として、武蔵南部から相模西部にかけて広がっていた。横山党の系図を見ると、一族の師義は「やこう」に住んで「やこう」氏を名乗っているのだが、漢字では「八国府」とある。
千葉県市川市の国府台を「こうのだい」と読むように、古くは「国府」と書いて「こう」と読んだ。つまり、この付近はもともと「やこう」という地名で、それにあとから漢字を宛てたのが「八国府」や「矢向」なのだろう。戦国時代頃には「矢向」という書き方で定着していたようなので、矢が落ちた向き、という由来は「矢向」という漢字を見てあとから考えられたものなのだろう。