経営者でありビジネス書作家としても活動する臼井由妃さんは、ライフワークとして、最愛の人との死別を迎える人、迎えた人との対話を重ねています。それは臼井氏もまた、末期がんで余命わずかと宣告された夫と、10数年という時間を、死と直面しながらともに生きた経験があるからです。
臼井さんはそうした自身の経験と、重ねた対話から、愛する人を失う前にやっておくべきことがあるということに思い至ります。「余命を宣告されたり、亡くなってから死について考えていては遅い」と。
最新刊『愛する人が死ぬ前にやっておくべきこと』(以下同書)は、そんな臼井さんの強い思いが込められた本。心の保ちかた、ケアのしかたから相続や社会保障に関わる手続きまで、その経験を活かして、本音でアドバイスしてくれます。
ここではその中の臼井さんの言葉を引用しながら、大切な人の死と真剣に向き合うためのヒントを、いくつか紹介したいと思います。
“死に際を考えるのに年齢は関係ありません”
「愛する人の死」といわれても、健康で若い人にはピンとこないかもしれません。しかし臼井さんはそんな人ほど、自分、また相手の亡くなったときのことを考えておくべきだといいます。
死は誰にでも訪れます。そして、若く健康な人が不慮の事故などで突然命を落とすこともあるかもしれない。それを考えることを怖い、縁起が悪い、などといっているのはおかしい。それは誰もが迎える「死」から逃げているだけ。
自分の死に際を考えずに「なんとかなる」と考えている人には愛される資格はない。残された人にも、愛する人の死をしっかり受け止め、心から感謝してきちんと送り出す役割があるのです。
“どうか、自分にも、愛する人にも、やがて訪れる「死」を忘れないで。”
(以上、同書26~32ページより)
“死を目の前にしている本人だって、愛する人の苦しみや悲しみを分かち合いたいと思っている。できるだけ共有したいと願っている”
病床にいる大切な人を支える立場にたつと、悲しみや疲れを顔に出すまいと、つい無理をしてしまうもの。看病だけでも大変なのに、仕事や家庭の問題からくるストレスは減ることはありません。負の感情が表情に出てしまうのを止めることは難しいことです。
そして、病人は繊細です。相手のそんな感情に必ず気づきます。
臼井さんは夫の闘病中、経営する会社を託されましたが、その重圧に耐えきれず、生きる意味を見失いました。
病室ではそれを隠し、努めて明るく振る舞っていましたが、言動の端々に感情がにじみ出ていたようで、夫から「なにかあった? 困りごとがあるならばいいなさい」と心配されます。
「私は大丈夫。私の心配なんかするヒマがあったら自分の心配をして!」と返す臼井さんに、夫はこういいました。
「私は大丈夫とか、心配するなっていうのは卑怯だ。本心を偽るための言い訳だよ」
心配させまいと無理をすることは、相手に「無理をさせている。すまない」というつらい感情を抱かせてしまいます。
病床にいる大切な人にそんなつらい思いをさせるべきではない。疲れて、不安だったら正直に打ち明けで感情を共有しよう。そうしたほうが、愛する人は絶対に喜ぶから、と、臼井さんはアドバイスしています。
(以上、同書44~47ページより)