日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。
交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。
2014/07/14 09:36
夏の高校野球の神奈川大会が始まり、等々力球場にいった帰りにすぐ隣の川崎市民ミュージアムによってみた。開催されていたのは、「近代川崎人物伝」という企画展。川崎市の市制90周年を記念して、近代川崎の発展の礎を築いた先人を紹介する企画展である。
取り上げられているのは、初代川崎市長の石井泰助以下13人。うち、チネチッタの創業者の美須鐄(こう)以外はみな地元の出身。そして、全員が旧家の出である。たとえば、旧中原町の町長として丸子橋の架橋に尽力、さらに川崎市との合併に奔走した安藤安は、江戸時代は代々小杉村の名主職をつとめていた。安藤家は戦国大名北条氏の家臣安藤大炊助の末裔と伝えている。
また、明治初頭に自由民権運動に関わった鈴木久弥は長尾村(川崎市多摩区長尾・宮前区神木)の豪農鈴木家の出。この鈴木家の先祖は、戦国時代には長岡将監と名乗っていたが、その子八郎に跡継ぎがいなかったことから、北条氏家臣の鈴木安太左衛門を婿として迎え、以後鈴木氏を称するようになったという。そして、展示されていた同家の系図には、代々「鈴木」という名字がしっかりと記載されている。
つまり、江戸時代一定以上の地位にあった農家の多くは武士の末裔であり、きちんと名字を伝えていたことがわかる。
「近代川崎人物伝」入場券の半券