人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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黒田長政の墓

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2014/05/26 10:07

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」は前半のクライマックスともいえる場面に差し掛かっている。

一旦織田信長に従いながら謀反を起こした荒木村重を説得するため、官兵衛は村重の居城有岡城に入ったものの捕らえらて地下牢に幽閉され、その内通を疑った織田信長によって、嫡男松寿丸は成敗を命じられた。しかし、官兵衛を信じる竹中半兵衛によって、半兵衛の本拠である美濃岩手山城に匿われて、九死に一生を得た。

この松寿丸が、後の初代福岡藩主黒田長政で、竹中半兵衛がいなければ福岡藩をなかったともいえる。なお、長政は父官兵衛とは違って猪突猛進型の武将だったともいわれ、藩政初期には父の残した旧臣達とトラブルも起こしている。

また、この長政の墓が福岡県ではなく、東京にあることはあまり知られていない。
東京メトロ広尾駅にほど近いところに、祥雲寺という寺がある。ここには福岡藩主黒田家、秋月藩主黒田家、久留米藩主有馬家、吹上藩主有馬家、柳本藩主織田家、岡部藩主安部家、小野藩主一柳家、狭山藩主北条家、園部藩主小出家など、多くの大名家の墓地が並んでいる。
その中の一つ、多くの墓石が立ち並ぶ福岡藩主黒田家墓地の一角に、初代藩主黒田長政の極めて立派な墓がある。



祥雲寺



黒田長政の墓



黒田家墓地

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