人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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今川氏の末裔

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2013/11/11 12:16

前回、戦国大名今川氏の末裔が、江戸時代に杉並区今川付近を領したのが同地の地名の由来と書いた。

戦国大名の今川氏は桶狭間の戦いで織田信長に敗れた後は没落し、やがて徳川家康によって滅ぼされてしまったのではないか、と思人も多いかもしれない。確かに大名としての今川氏は滅ぼされたが、今川氏そのものが完全に消滅してしまったわけではない。というか、戦国時代に使われる「滅ぼされた」という言葉は、当主や近い親族が討たれた、或いはその地位を完全に失った、という程度の意味で、一族あげて皆殺しにされてしまったというわけではない。

従って、滅ぼされた戦国大名の末裔は、江戸時代以降も続いていることが多い。もちろん、当主やその息子は殺されていることが多いため、直系の子孫ではないこともあるが、関東の北条氏は小大名として、甲斐の武田氏や但馬の赤井氏は旗本として存続している他、織田信長の重臣だった柴田勝家の子孫も旗本となり、備中高松城の水攻めで切腹した清水宗治の子孫は長州藩の重臣となって続いている。

今川氏の末裔は、幕府で儀礼を司る高家となって代々続き、杉並区今川2丁目にある観泉寺には、今川家累代の墓がある。


観泉寺


今川一族の墓
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