人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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外宮と渡会氏

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2013/10/21 09:00

伊勢神宮内宮の神官は荒木田一族が代々つとめたのに対し、外宮(豊受大神宮)の神官は渡会一族がつとめた。

荒木田氏は天見通命の子孫だが、渡会氏は天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の子孫である天日別命の末裔。神武天皇の東征の際に伊勢を平定して、以後伊勢を統治したと伝え、垂仁天皇の時代に伊勢国造に任ぜられたという。渡会という氏族名も伊勢国度会郡に由来しており、伊勢神宮創建の際にはすでに同地を支配していた古代豪族であろう。

平安末期以降、神宮祭主や大宮司の力が衰えるにつれて禰宜家である渡会氏の力が強くなり、禰宜に次ぐ地位である権禰宜も度会一族が独占した。鎌倉時代には伊勢神道学を確立し、江戸時代には度会(出口)延佳など多くの学者も輩出している。


渡会一族は三〇家以上に分かれ、なかでも檜垣家・松木家・久志本家・佐久目家・河崎家・宮後家の6家は禰宜になることのできる神宮家(重代家)といわれた。

このうち、久志本家の一族は医家として活躍した他、その一族には旗本となった家もあるなど、伊勢神宮外宮の神官という枠を超えて活躍したものも多い。


明治になると、内宮禰宜の沢田氏と同じく、禰宜家筆頭の松木家が男爵を授けられている。
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