人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

首里城と琉球王家

このエントリーをはてなブックマークに追加

2013/08/07 10:57

今夏、二十数年振りに沖縄に行ってきた。

前回行ったときにはなかった首里城が復元され、また世界遺産にも指定されていたことから、とりあえず首里城にいってみた。



首里城


守礼門


沖縄は、かつて琉球王国という独立した国であったことを知っている人は、本土ではそれほど多くないだろう。今では中学校の歴史の教科書にも載っているが、私の記憶では明治時代の琉球処分以前の沖縄の歴史を学校の日本史の授業で習ったことはない。

琉球王国は、冊報(さくほう)という中国を宗主とする体制に組み込まれている一方、江戸時代には薩摩藩を通じて徳川幕府の支配下にもあった。

そのため、琉球文化は日本と中国双方の影響を受けており、和洋折衷ならぬ、和中折衷の様式がみられる。

琉球王家の尚(しょう)家の館である首里城は、周囲に万里の長城のミニチュア版のような中国風の石垣が巡らされ、日本のような天守閣はない。また中に展示されていた文物も中国風のものが多いが、国王の部屋には畳が敷き詰められているなど日本風。

また、日本の系図は右端に長男を書いて、以下二男・三男は左に線を伸ばしていくが、琉球の系譜集である門中誌は長男を中央に書くという中国風である。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ