人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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鴻池新田会所

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2013/07/01 10:01

先日大阪に行った際、どこか短時間で寄り道できる場所はないかと探して、鴻池新田に行ってみた。

大阪環状線の京橋駅でJR学研都市(片町)線に乗り換えると4つ目に鴻池新田という駅がある。この周辺は江戸時代に日本を代表する豪商だった鴻池家が開いたところだ。

江戸時代の豪商のうち、三井家や住友家は現代まで財閥として続いているため知名度が高いが、明治以降急速に没落した鴻池家は、今では知らない人も多い。戦国武将山中鹿介(こちらも最近は知らない人の方が多いだろう)の末裔で、江戸時代は関西一の豪商だった。

江戸時代初期、鴻池家は大和川の付け替え工事によって広大な新田を開拓した。そして、この鴻池新田を管理・運営するために、宝永2年(1705)に鴻池新田会所を建てている。



鴻池新田会所


現在の建物は幕末に大改修されたもので、その後役人宅など一部はビルとなっているが、周囲にめぐらした濠は残っており、会所裏側の濠は水路を通って寝屋川に通じて、新田の米は船で大坂に運ばれていた。

国の重要文化財である本屋には、広大な土間や書院造の客間があり、生駒山を借景として取り入れた回遊式庭園とともに、豪商の館の面影をよく残している。
きちんと整備された館は周囲の住宅地とは別世界で、もう一度ゆっくり訪れてみたい場所である。



鴻池新田会所の濠



鴻池新田会所の土間
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