人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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高橋さんのルーツ

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2013/04/22 13:32

石上神宮を通り抜けて神社の裏手に出、少し歩くと山の辺の道の案内がある。



山の辺の道


古代大和には、西から順に下ツ道・中ツ道・上ツ道という3つの幹線道路があった。そして、上ツ道のさらに東側の山裾を縫うように通っていたのが山の辺の道である。

山の辺の道は最古の道ともいわれ、天理市東部から桜井市にかけて続いている。途中には崇神天皇陵や景行天皇陵などもあり、初期ヤマト政権はこの山の辺の道の周辺にあったとも考えられている。

この山の辺の道の案内に従って細い道を降ると、やがて布留川を渡る橋が見えてくる。これが、『万葉集』巻12に「石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞふけにける」とうたわれた「布留の高橋」である。



布留の高橋


このあたりの布留川は渓谷となっており、河原に降りてみると文字通り高いところに橋が架かっていることがよくわかる。



下から見た布留の高橋


橋自体は新しいもので、これが古代の高橋そのものではないが、このあたりに架かっていたのであれば、高い橋であったに違いない。建築技術の乏しい時代では、こうした高い場所に橋を架けるのは大変なことだった。つまり、「高い橋」はそれだけでランドマーク的存在だったのだ。

ここは、古代豪族高橋氏の発祥地とされ、ひいては現在全国で3番目に多い「高橋」さんの重要なルーツの1つであるといえる。
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