人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

川崎市の古刹影向寺

このエントリーをはてなブックマークに追加

2013/02/12 11:26

先日、2月とは思えない暖かい日が続いた時に、川崎市の影向(ようごう)寺に行ってきた。



影向(ようごう)寺


影向寺は川崎市宮前区野川にある古刹で、縁起によると、奈良時代に光明皇后が病気になった際、聖武天皇に「この地に霊石があるため、その上に薬師仏を安置すれば病は治る」という夢のお告げがあり、行基に命じて建立させたのが始まりという。

文献資料が乏しいためはっきりした創建年はわからないが、出土品などから調査した結果、実際に奈良時代後半にはすでに建てられていたことは確実であることがわかっており、神奈川県を代表する古刹の一つであることは間違いない。



影向寺太子堂


この付近にはかつて武蔵国橘樹郡の郡衙(郡の役所)が置かれていたとみられ、影向寺もこの地域の中心的な寺だったのだろう。

同寺にある「薬師如来坐像」と「両脇侍像」は平安時代の作とされ、ともに国の重要文化財。また、薬師堂は県の重要文化財で、その脇には芭蕉の句碑と西脇順三郎の詩碑が建てられていた。

今ではこじんまりとした寺だが、創建当時はかなり広い寺域だったらしく、近くにある能満寺も、かつては影向寺の塔頭だったという。

そこで、影向寺の前から急な坂を下り、また登って能満寺にも行ってみたが、残念ながら工事中だった。またの機会に訪れてみたい。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ