人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

●サイト(オフィス・モリオカ)
  → https://office-morioka.com/
●ツイッター
  → http://twitter.com/h_morioka
●facebookページ
  → https://www.facebook.com/officemorioka/
●Instagram
 → https://www.instagram.com/office_morioka/

 

世田谷城址公園

このエントリーをはてなブックマークに追加

2012/11/19 10:39

東急世田谷線の上町駅で降りて、住宅街の中を北に少し歩くと、住宅地の一角に忽然とこんもりとして木の繁った不思議な空間が見えてくる。これが世田谷城址である。



世田谷城址


東京23区内、それも高級住宅地でる世田谷に城があったということはあまり知られていない。

普通、お城というと、高い山の上にあるか、あるい城下町の真ん中にそびえる大きなものを想像しがちだが、室町時代以前の城には天守閣はなく、城の規模もそれほど大きなものではなかった。

この付近は武蔵野台地の端の部分にあたり、世田谷城は台地が舌状に張り出したところにあった平山城である。台地のがけ下には烏山川が流れ、天然の要害であったに違いない。現在でも廓の周りには空濠となって残っている。



世田谷城空濠


世田谷城が築城されたのは室町時代初期と推定され、城主は吉良氏。以来、戦国時代まで8代、240年にわたって吉良氏がここに住み、世田谷一帯を支配していた。戦国時代には小田原の北条氏に従い、天正18年(1890)の小田原落城とともに廃城となっている。城壁の一部は江戸城の修築の際に持ち出されたという。

現在は都指定旧跡として公園となっており、城壁の一部や濠も残っていて、城跡であることがはっきりとわかる。少し風があったことから、ときおり上からクヌギのどんぐりが落ちてくる、世田谷の駅近くとは思えない場所だった。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ページのトップへ