人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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四谷大木戸跡

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2012/11/13 11:07

多武峯内藤神社から再び外苑西通に出ると、すぐ近くの郵便局の名称が四谷大木戸局とある。ということは、この付近に四谷の大木戸があったに違いない。



四谷大木戸郵便局


そこで調べてみると、四谷の大木戸があったのは、通りを少し北に進んだ現在の四谷4丁目交差点のあたりらしい。周囲を探してみると、交差点の西側の一角、新宿区立四谷区民センターの脇に巨大な玉川上水番所の碑があり、その裏側にひっそりと四谷大木戸門跡の碑が建てられていた。



四谷4丁目交差点



大木戸跡の碑


四谷大木戸とは、甲州街道の四谷にあった木戸(関所)。東海道の高輪大木戸とともに、江戸に出入りする人を監視するために設けられていた。江戸の街には町内にも多くの木戸があったため、これらと区別するために、江戸全体の木戸という意味で「大木戸」と呼ばれていた。

四谷の大木戸は、当初は夜になると門を閉ざしていたが、江戸中期の寛政年間には木戸が取り払われている。そして、木戸の西側には内藤新宿が設置されてにぎわった。

高輪の大木戸は今でも石垣が残っているが、四谷の大木戸は維新後には交通の邪魔になることから、石垣も撤去されてしまい、現在では何も残っていない。

しかし、甲州街道の交通の要所であることには変わりがない。
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