人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東京の代官屋敷

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2012/05/21 13:49

「代官」と聞いて、どういうイメージを思い浮かべるだろうか。時代劇ファンだと必ず連想するのが、殿様のいない間に私腹を肥やす悪代官だ。一般に「代官=強欲」という印象があるが、代官がみな強欲だったわけではない。

代官とは、文字通り領主に代わって土地を支配した役職(官)のこと。幕府領である天領には代官が置かれて、徴税などの実務を行っていた。当初は地侍など、もともとその地に影響力のある人物が代官として採用され、やがて世襲化するにつれて官僚となっていった。

一般に、代官の収める天領は諸藩よりも暮らしやすかったといわれる。これは、諸藩では財政が苦しくなると、年貢の率をあげて厳しくしたが、官僚である代官の収める天領では、そうしたことはなかったからだ。

実は天領以外にも代官のいる場所があった。江戸時代の藩というと、城を中心としたひとかたまりの地域と思いがちだが、実は飛び地を持つ藩は多かった。そうした藩では飛び地には代官を派遣し、土地の豪農などを代官に指名して収めさせたのだ。

今の世田谷区には、彦根藩三五万石の飛び地があった。彦根藩主の井伊家は戦国時代の世田谷吉良氏の家老の末裔で、当時は豪農となっていた大場家を代官として採用し、以後代々世襲した。

東急世田谷線の上町近くには大場家屋敷が残っている。そこには白州跡もあり、簡単な裁判権を持っていたこともわかる。



大場家屋敷



その裏側



白洲跡
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