人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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日前・国懸神宮と紀氏

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2012/04/16 10:57

藤白神社の帰りには和歌山市の日前・国懸(ひのくまくにかかす)神宮によってきた。この神社、全国的な知名度は低いが、姓氏学上ではかなり著名。というのも、ここの神官をを代々つとめた紀氏は古代豪族の末裔で、明治時代には男爵を授けられているのだ。



国懸神宮


日前神宮


古代豪族の紀氏には二系統がある。有名なのは、古代から平安時代まで朝廷で公家として活躍した紀氏である。『土佐日記』の著者紀貫之はこの家の出。公家紀氏の祖である武内宿禰(たけしうちのすくね)は、母が紀氏の出てあったことから、子どものうちの一人が「紀」を姓にしたと伝える。

ということは、それ以前に別に古代豪族の紀氏があったことになる。それが、神武天皇の時代から紀国造をつとめるという紀伊国の古代豪族の紀氏である。同国名草郡を本拠として、代々日前・国懸神宮の神官をつとめていた。明治維新後には男爵となり、和歌山市長もつとめたという、和歌山県を代表する名家の一つだ。

ところで日前・国懸神宮と間に「・」がついているのには理由がある。神社の正面から入ると、つきあたりに「左日前神宮 右国懸神宮」という案内がある。



案内板


つまり、一つの境内に二つの神社が鎮座しているのだ。そしてこの二つの神社、とてもそっくりで区別がつかない。神職の紀氏は両方の神官を兼任していることから、日前・国懸神宮神官とつなげて呼ばれるのだ。
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