人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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佐藤さんの先祖も登場

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2012/01/23 10:50

先週の「平清盛」で、伊藤さんの先祖が登場したが、今週は佐藤さんの先祖も登場した。

院の北面に仕える武士としてチラッと登場した佐藤義清がそうだ。伊藤氏は「伊勢の藤原氏」という意味だったが、佐藤氏の「佐」にはいくつかのルーツがあるとされる。その中で本家と言われるのが、左衛門尉となった藤原公清の一族だ。

公清は左衛門尉の「左」に「にんべん」をつけた「佐」と藤原氏の「藤」を組み合わせて「佐藤」と名乗った。これが佐藤氏の始まりとされる。

佐藤氏はこの他にも、佐渡守となった藤原氏の末裔など、いくつかの流れがあるが、公の子孫が本家とされている。

さて、この公清から4代目にあたるのが、先日の大河ドラマに登場した藤木直人演じる義清である。作中でも桜の花に関心の高いそぶりをもみせていたが、これは次回以降への伏線だろう。

というのも、義清は鳥羽院の北面の武士をつとめていたが、23歳で女性問題から出家し、以後は歌人として生きていくことになる。「願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃」と詠んだ漂泊の歌人西行法師がその後の姿である。

西行は桜が満開となる「如月の望月の頃=2月15日(旧暦)頃」に死ねば本望だ、と詠んだが、実際に73歳で2月16日に死去している。

ところで、佐藤義清は佐藤家の本家の長男だった。出家遁世したため家は弟が継いだものの、以後は没落し、佐藤本家の末裔がその後どうなったかは定かではない。
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