人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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神武天皇陵

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2011/04/26 09:04

今回の奈良の旅では古代氏族ルーツの地を訪ねる間に、天皇陵も訪れてみた。

まず、久米の近くにある神武天皇陵。初代天皇であることから戦前には多くの参拝者が訪れた。そのため、陵墓の隣にある橿原神宮周辺の道路は立派で、その敷地もとんでもなく広い。紀元2600年式典の行われた1940年には、参拝者が1000万人を数えたという。



橿原神宮


しかし、現在は日本史の教科書にも全く登場しないことから、神武天皇そのものを知らない人も多い。訪れた日は日曜日だったが、広い敷地も人かげはまばら。施設が立派な分、より閑散とした印象を与える。

さて、古代の天皇には在位が100年を超すものもあるなど、その実在性をめぐっていろいろな意見がある。しかし、陵墓には誰かが埋葬されていることは間違いないし、その大きさから考えて、それなりの実力者であることは確かだ。

また、神話は荒唐無稽な部分があったとしても、大筋では史実に則っている部分が多いのも事実。少なくとも、初代とされる神武天皇の陵には、ヤマト王権を掌握した大王家の祖が眠っている可能性は高い。



神武天皇陵


近鉄尼が辻駅から菅原の里を訪れた際には、途中に第11代垂仁天皇の陵があった。神武天皇からくらべるとかなり小ぶりの古墳で、住宅地の中にいきなりある。濠の中には家臣田道間守の墓とされる小島が浮かんでいた。



垂仁天皇陵


菅原一族の先祖、野見宿禰が当麻蹴速と相撲をとって蹴殺したのは垂仁天皇の時代。これが相撲の起源だが、地理的にみて、垂仁天皇が菅原氏の先祖である土師氏と結んで、対立する当麻一族を倒したことがこの話の基礎となっているのだろう。
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