人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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菅原の里

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2011/04/18 10:52

久米、安倍のあとは、菅原一族の発祥地である、菅原の里を訪れた。



菅原の里


菅原一族は、もともとは土師氏であった。土師氏とは、古墳に副葬する埴輪などを作ることを担当していた一族である。

古墳の建造が盛んな頃は大きな勢力を持っていたが、やがて古墳が廃れるとともにその力を失っていった。そこで、奈良時代の終わりに、土師氏一族のうち二つの氏族が、新たな姓を賜って学問を担当する氏族として再出発した。それが、大江氏と菅原氏である。

平安時代になると、ともに学者を輩出して学問の一族として成功したが、とくに菅原氏は平安時代中期に菅原道真を出したことで一躍有名になった。

この菅原一族のルーツとなった場所が奈良市の菅原地区である。ちかくには垂仁天皇陵などもある。

「菅家発祥の地」と書かれた石碑の立つ菅原天満宮は、住宅地の中にあった。京都の北野天満宮はじめ、各地の天満宮はたいへん賑わっているところが多いが、本家ともいえる菅原天満宮はひっそりとしたたたずまいで、訪れる人も少ないようだ。



菅原天満宮正面



菅原天満宮本堂


なお、近くの阪奈道路沿いにある喜光寺は、もとは菅原寺であった。聖武天皇が訪れた際、本尊から不思議な光が出たため、喜光寺に改めたという。こちらは養老5年(721)に行基が建立した寺で、菅原の里にある寺という意味で菅原寺と名付けられたもののため、菅原一族と直接の関係はなさそうだ。




喜光寺
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