人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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東海道を歩いてみた(12) 箱根〜三島

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2010/03/23 11:49

さて、大幅に遅れて芦ノ湖畔の元箱根に着いたところで、ここで中止しようかとも思ったが、次回を考えて三島まで強行することにした。そのため、多くの人で賑わっていた箱根の関所跡も素通りして三島を目指す。



芦ノ湖畔



関所跡


関所跡を抜けると旧箱根宿。当初、東海道に箱根宿はなかった。しかし、小田原宿と三島宿が遠いため、元和4(1618)年に新しく設置したのが箱根宿である。

本来、箱根の集落は関所より江戸よりにあった。しかし、この村が本陣を置くことを拒んだため、小田原宿と三島宿から50軒ずつを関所の西側に移してできたのが箱根宿である。そのため、箱根宿には小田原町と三島町があり、また、関所の東側は元箱根といわれるようになった。

さて、ここからは先を急ぐ。実は、東海道のガイドプックはたくさんあるが、多くは元箱根までしか掲載されていない。ここから先は、どれが東海道かを確かめながら歩くことになるからだ。

強風と、激しく行きかう車をさけながら標高846mの箱根峠を超えると、静岡県に入る。すると、いきなり整備された東海道(旧箱根街道)の入り口が見えてきた。静岡県では旧東海道を整備し、案内版を建ててわかりやすくしていたのだ。



旧箱根街道入口


道を探す心配がなくなったことで、一気に三島まで降っていく。両側に繁った木が丸くドーム状になってトトロの出てきそうな道や、谷間を見渡せる尾根の道などもあり、ウォーキングには最高。



トトロの出てきそうな道


4時間半かけて三島に到着したのが5時半、三島大社への参拝は次回にしてさらに三島駅まで歩いた。三島駅から家までは2時間半もかかるので、ゆっくりはしていられない。

箱根八里といわれた難所、今回は湯本から歩いたので30km弱だが、雪道の山越えはさすがにキツかった。それでも、国道を歩くよりは旧道の方がはるかに歩き安い。車のための道と人のための道は違う、ということを実感した旅であった。



箱根の山道
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