人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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高尾山に行く

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2008/09/16 11:17

先日、久しぶりに高尾山に行ってきた。今年の春頃、ミシュランガイドで高尾山が最上位の三つ星に指定され、外国人の観光客が急増している、ということが話題になっていたが、遅い時間にもかかわらず、それなりの数の観光客がいたものの、外国人の姿はあまり見当たらず、真偽のほどは不明。



 さて、高尾山の山頂近くにある薬王院有喜寺の歴史は古い。古代から山岳信仰の対象で、真言宗の関東三山の一つ。開基は奈良時代で、聖武天皇の勅願を受けた行基が開いたと伝えられている。

 東京の歴史は家康の入部以降が中心と考えられがちだが、多摩西部から埼玉県の秩父にかけては、古代から日本史にも登場してくる。七〇八年に国産の銅が見つかったことで和同開珎が作られたが、この銅の産地は秩父の黒谷。

 また、名字の歴史を探る上で重要な役割を占める武蔵七党のうち、横山党は今の八王子市を中心に広がり、西党は多摩、児玉党は秩父地方に蟠踞していた。

 高尾山の登山者は、今では実に年間250万人。富士山などを遥かに越えて、世界一の登山者数ともいわれる。都心から便利でハイキングコースとして手ごろな上に、温帯林と暖帯林のちょうど境目にあたることから、動植物の種類も多く人気を集めている。



 また、高尾山は意外と勾配のきつい山である。ケーブルカーは日本一の斜度を誇り、リフトもかなり急で、下りではポールにしがみついている人もいるほどだ。地元書店の刊行した「八王子事典」によると、かつて山頂には展望塔があり、回転しながら20m上昇する4人乗りのゴンドラがあったそうだ。その眺めたるや、相当のものであったに違いない。
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