人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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末盧国と松浦さん

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2007/11/26 09:05

全国的にはあまり大きな話題にはならなかったが、21日に「佐賀県の唐津市教育委員会が末盧(まつろ)国の王墓を“再発見”したことを発表」というニュースがあった。

末盧国は、「魏志倭人伝」で邪馬台国に通じるクニの一つとして記述されている。“再発見”とはあまり聞き慣れないが、戦時中に一旦発見されていたものの、埋め戻しなどで所在地がわからなくなっていたのだ。このほど、大量の副葬品などが見つかり、実に63年ぶりに末盧国の王墓であることが確認された。邪馬台国周辺の国としては、伊都国(福岡県)ついでその所在地があきらかになったことになる。

さて、王墓の発見された唐津市付近は、松浦地区と呼ばれ、全国の松浦さんのルーツの地でもある。嵯峨天皇の子孫である嵯峨源氏の渡辺久という人物がこの地に移り住んで、「松浦」を名字にしたのが松浦さんの始まり。

以後、一族は松浦地区から長崎県の五島列島にまで広がり、「松浦党」という同族集団をつくって海の一族として活躍した。一時九州にいた今川了俊に仕え、その帰国に従って遠江国(静岡県)に移った分家もある。そのため、現在でも、松浦姓は九州と静岡県に多い。

かつてこの付近が「まつろ」国であったことからもわかるように、松浦という地名は古くは「まつうら」ではなく、「まつら」と呼ばれていた。そのため、直系の子孫である肥前平戸藩主の松浦家は、自らの名字を「まつうら」ではなく、「まつら」と発音していた。明治以降の華族を集大成した「華族家系大成」でも、伯爵松浦家には「マツラ」とふりがなが振られている。
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