人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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石見銀山市誕生か

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2007/07/09 09:46

先月、島根県にある石見銀山が世界遺産に決定した。日本の世界遺産は、平成17年に登録された知床に続いて17件目。産業遺産としては国内初の登録となる。

早速、地元には大型観光バスが押しかけて、観光ラッシュに涌いているようだ。さて、石見銀山の所在地を正しく答えられ人はどれだけいるだろうか?

「石見」とは旧国名で、現在の島根県西部。石見銀山の範囲は、大田市を中心に、仁摩町や温泉津町に広がっていた。室町時代から本格的な採掘が始まり、江戸時代には大田市大森に奉行所を置き、5万石の幕府直轄領として管理した。算出した銀は、当初は仁摩町や温泉津町から積み出していたが、のちには銀山街道を通って広島県の尾道に出、ここから船で京都に運んでいる。

ところで、時代劇をよく見る人は、石見銀山というと毒薬を思い浮かべる人も多いだろう。時代劇では、毒殺というと、まず「石見銀山」を使うことになっている。この石見銀山とは、石見津和野でとれる亜ヒ酸を含む砒素化合物を砕いた殺鼠剤で、本来の石見銀山とは全く関係がない。しかし、販売戦略上、知名度のある石見銀山の名を冠して「石見銀山ねずみ捕り」として売り出したところ大当たり、一般には省略して「石見銀山」と呼ばれた。猛毒の亜ヒ酸を含んでいる上、ネズミ捕りとして入手しやすいため、毒殺にはもってこいだったに違いない。

さて、大田市と仁摩町、温泉津町は平成の大合併により、現在はすべて大田市になっている。地元では、今回の石見銀山の世界遺産入りを受けて、市名を「石見銀山市」に変えようという動きもあるという。

なお、大田市の漢字は「太田」でなく「大田」。読み方も「おおた」ではなく「おおだ」である。群馬県の「太田市/おおたし」とは、漢字も読みも違っており、「大田」でも別にこまることはなさそうなのだが。
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