人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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阿蘇神社が重要文化財に

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2007/04/23 11:45

4月20日、文化審議会が、全国にある11件の建造物を、国指定の重要文化財に指定するよう伊吹文部科学相へ答申した。答申されたものは、勝鬨橋や旧松本高等学校など、明治から大正期にかけての近代建築物が多いが、その中に阿蘇神社も含まれていた。

阿蘇神社は一般的にはやや知名度が低いが、歴史的には大変重要な神社。大宮司の阿蘇家は、南北朝時代以降は有力武家として阿蘇地方を支配していた。豊臣秀吉の九州征伐で武家としては滅んだが、江戸時代には阿蘇神社の神官に戻って細川家の庇護を受け、明治以降は男爵を授けられている。

さて、この神社の特徴は、その歴史の古さである。阿蘇神社が建立されたのは第12代景行天皇の時代といわれ、阿蘇家の祖は、初代神武天皇の孫だという。

神武天皇の没後、そのあとは長男が継がなかった。なんと、次男と三男が協力して異母兄の長男を討ったというのだ。さらに本来ならば、兄弟のうち兄にあたる神八井耳命が跡を継ぐのだが、彼は勇猛な弟に天皇を譲り、自らは神官になったという。そして、彼の子どもが阿蘇地方を開拓し、のちに子孫が阿蘇神社を建立したと伝えられている。

地図をみるとよくわかるが、実は阿蘇神社のある熊本県阿蘇地方と、天皇家の故郷である宮崎県の高千穂地方は、一山越えた場所で意外と近い。この神話の信憑性はともかく、天皇家と阿蘇神社は古代から血縁関係を含め、深い繋がりがあったのであろう。地方の一神社にもかかわらず、その宮司が男爵を授けられていた理由も、両家の繋がりの深さを示している。
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