人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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十津川村と十津川警部

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2006/05/08 10:07

 「十津川」と聞いてまず何を思い浮かべるだろうか。
 その結果は、おそらく人によってさまざま。関西の人だと奈良県の十津川村、北海道の人だと新十津川町の可能性が高い。幕末史に詳しい人なら、勤王でならした十津川郷士だろうか。しかし、今一番有名なのは西村京太郎のトラベルミステリーの主人公、十津川警部だろう。
 この四つの「十津川」、実はすべてルーツは同じ。奈良県南部、世界遺産にも指定された熊野古道も通る十津川村である。吉野の険しい山脈の中にあり、「街道をゆく」の中で、司馬遼太郎は「遠つ川」が語源だろう、と推測している。
 この十津川村が明治時代に未曽有の大災害に見舞われた際、被災した村民が故郷を捨てて北海道の新天地に集団移住した。こうして開拓した地が現在の新十津川町である。
 また、幕末には十津川村の村民は勤王で知られていた。壬申の乱で天武天皇に村をあげて味方して以来、代々天皇家に直接仕えているという伝承を持つ村民は、京都に屋敷を構え、武装して御所の門を守っていたのだ。彼らがいわゆる“十津川郷士”で、明治維新後、新政府はその功を称えて、一村あげて全員が「士族」に指定された。全国でも珍しい士族だけの村だったのだ。
 西村京太郎の産み出したヒーロー「十津川警部」も、この十津川村に由来している。日本地図でたまたまみつけた十津川村の地名に惹かれて命名したという。今年4月末、新刊「十津川村天誅殺人事件」が刊行された。舞台はもちろん奈良県十津川村。これを機に村では、名産のヒノキ材を使って横3m、高さ1.8mの本棚を製作、ここに十津川警部が主人公の小説200冊を面出しした状態で並べ、人気作品にあやかったムラおこしを計画している。将来は、十津川警部にちなんだ推理ツアーの企画も検討しているという。
 ちなみに、警部の名前は「とつがわ」だが、村の名前は「とつかわ」と濁らない。
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