人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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司馬遼太郎記念館にて

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2006/03/28 09:07

 先週から甲子園球場でセンバツ大会が開幕、さっそく甲子園まで見にいってきた。そのついでに、以前から気になっていた司馬遼太郎記念館を訪れてみた。とはいうものの、泊まった上本町のホテルからみると、司馬遼太郎記念館は甲子園と正反対で、どこがついでなのやらよくわからないが・・・。



 おりから季節は春、命日を“菜の花忌”という司馬遼太郎らしく周辺は菜の花が満開で、布施高校の脇から記念館までは菜の花ロードとなっていた。NHKの大河ドラマで「功名が辻」を放映しているせいか来客も多く、なかなかにぎわっているようだった。中でも4万冊の蔵書のうち2万冊を一挙に並べてある、吹き抜けの展示室は圧巻。生前は廊下に並べており、本を書くたびに常時数百冊を書斎に持ち込んでは執筆していたという。
 さて、司馬遼太郎は筆名で、本名は福田定一という。この「司馬」という筆名は、中国の歴史書「史記」の作者である司馬遷に因んだもの。司馬遷にあこがれるものの、「司馬遷には遼(はる)かに遠い」という意味を込めてつけたといわれる。
 しかし、中国人の名字で漢字2文字は珍しい。中国の名字ランキングは、「李」「王」「張」「劉」「陳」「楊」「趙」「黄」「周」「呉」という順で、すべて漢字1文字。漢民族の場合は、名字が漢字1字で名前が2字というのが普通。名前が1字の人はそれなりにいるが、名字が2文字の人は珍しい。一般に、名字が2字以上の中国人は少数民族であることが多い。
 しかし、司馬遷の一族の歴史は古く、周の時代から歴史を記録する家柄だったという。武人となった一族もあり、「三国志」で活躍する司馬懿(仲達)や、その孫で西晋の初代皇帝となる司馬炎などが著名。
 司馬遷の家は司馬一族の傍系で、父親の司馬談は前漢の武帝に仕えていた。司馬談は引退後に歴史書を書きはじめたが、すぐに死去。あとをついだ遷が、この事業を引き継いで完成させたのが、史書「史記」である。
 司馬遷は武帝によって宮刑(去勢)に処せられているが、司馬遷にはちゃんと子孫がいる。しかし、武帝をはばかって、子孫は「司馬」の名字を廃し、「同」や「憑」を名乗っているという。
 司馬姓は日本にもあり、関西を中心に数百人ほどいる。偶然だが、司馬遼太郎の住んでいた阪神地域に多い。

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