人名・地名 おもしろ雑学

日本で一番多い名字は佐藤で、2番目が鈴木といわれています。しかし、「本当?」と思っている人も多いのではないでしょうか。東京の周辺に住んでいる人は違和感がないでしょうが、関西の人だと、一二を争うのは山本と田中だろう、と思っています。

交通が便利になって、東京からだと、離島や山中を除いてほとんどの所に日帰りできるようになりました。でも、日本は狭いようで、まだ地域差は残っています。そんな日本を名字や地名からみつめ直してみたいと思っています。

著者プロフィール

森岡 浩(もりおか・ひろし)

姓氏研究家・野球史研究家。1961年高知市生まれ。土佐高校を経て早稲田大学政治経済学部卒。学生時代から独学で姓氏研究を始め、文献だけにとらわれない実証的な研究を続けている。一方、高校野球を中心とした野球史研究家としても著名で、知られざる地方球史の発掘・紹介につとめているほか、全国各地の有料施設で用いられる入場券の“半券”コレクターとしても活動している。

現在はNHK「日本人のおなまえっ!」解説レギュラーとして出演するほか、『名字の地図』『高校野球がまるごとわかる事典』(いずれも小社刊)、『名字の謎』(新潮社)、『日本名字家系大事典』(東京堂出版)など著書多数。

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横山一族の本拠地

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2013/05/27 11:12

平安時代後期、武蔵国を中心に、関東地方西部には武蔵七党と呼ばれる武士団が広がっていた。この1つ横山党は、今の八王子市の中心部を本拠地として、東京都西部から神奈川県西部にかけての広い地域に展開していた。

JR八王子駅を出て北に歩き、甲州街道を越えたところに八幡八雲神社という小じんまりした神社がある。この神社は横山党の祖、小野孝泰が建立したといわれる。そして、ここが横山党の本拠があった館跡とされ(異説もある)、東京都の旧跡に指定されている。



八幡八雲神社


そして、ここからさらに北に歩いた妙薬寺の墓地の奥には「横山塔」と書かれた宝篋(ほうきょう)印塔がある。戦国時代の永禄年間に建立されたもので、これが横山氏の墓であると伝えられている。



横山塔


そもそも、多摩丘陵一帯のことを古くは「横山」といったことから、横山党の名が特定の地名によるものではないと考えられる。しかし八王子市の中心部一帯が横山党の本拠地であることは間違いなく、この付近は今では元横山町といわれている。



元横山町の標示


武蔵七党は、源平合戦で源氏方についたことから、鎌倉時代には各地に所領を得て広がった。横山党も例外ではなく、加賀藩家老の横山家など、全国の多くの横山氏が、そのルーツは横山党であるとしている。
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